1978年、ヤマハ第16回ポピュラーソングコンテスト(通称ポプコン)で注目され、1979年「沈丁花」でプロデビューした。
1981年発売のシングル「シンデレラ・サマー」が同年のJAL沖縄キャンペーンソングとなって大ヒット。
美しい声とアイドル並の容姿を持ちながら作詞作曲もこなす実力派として認知された。
爽やかで明るい語り口から、ラジオ番組のDJとしても人気を集め、MBSヤングタウンをはじめとして、数々の番組を担当した。
「シンデレラ・サマー」がヒットの際は、ザ・ベストテンの放送日がMBSヤングタウンの担当曜日である木曜日であったので、MBSの千里丘スタジオや隣のミリカスポーツなどで中継が行われていた(ちなみにMBSヤングタウンでパートナーを組んでいた角淳一(当時MBSアナウンサー)とは大阪府立四條畷高等学校の先輩後輩の関係)。
1984年にはCHAGEとのデュエットが実現。CHAGEが作詞・作曲した「ふたりの愛ランド」がJALの沖縄キャンペーンソングに決まったことで、「石川優子とチャゲ」というアーティスト名でその夏最大のヒットを飛ばす。
1990年7月、惜しまれながら歌手引退。その後もDJや映画評論などの仕事は続ける。1994年に元マネージャーと結婚。
本人曰く、趣味はプロレス観戦で好きな選手は寺西勇との事。プロ野球西武ライオンズの応援歌「吠えろライオンズ」の作詞・作曲を手掛け、現在も応援歌として7回の攻撃時に球場に流れる。